SIBIRIA in English!

久々のぞいたVAPNET日記でSIBIRIAのお知らせ。
夏にレコーディングだそうです。英語で!

http://vapnet.blogspot.com/

Martin H och jag har ett till band, Sibiria.
Vi ska spela in en ny skiva i sommar är det tänkt. På engelska!
Har ju alltid hatat svenska grupper som sjunger på engelska,
så det ska bli roligt.
Nu när det verkar vara ett krav bland alla svenska popband
att göra den personliga, svenska skivan så känns det bra
att göra en opersonlig engelsk sådan.
Vi tar väl och skaffar oss ett nytt namn samtidigt.

英語で歌うバンドというのがいつも嫌いだったので、おもしろいことになりそう。
スウェーデンのバンドはみんな、個人的なスウェーデン語のアルバムをつくるというのが
課せられているみたいに思えるね。そしたら個人的でない英語でつくるのも悪くない感じがするもの。
僕らはやるし同時に新しい名前もつけるよ。

新しい名前って、それSIBIRIAじゃないじゃん!
HELLO SAFERIDE!とSAKERT!の違いみたいなもんでしょうか。

名前は本気かどうかよくわからないけれども、
すべてがダイレクトに出てしまう母国語で歌うことの意味と
それのしんどさについてはなるほどなあと思った。
彼らは特に常に「スウェーデン語で歌うことの意味」を問われても、
「英語で歌うことの意味って何さ?」という姿勢を一貫して持っていて、
英語で歌う人が大部分を占める自国の音楽シーンについて
批判めいたこともよく言っていたので、「英語で今度はやってみる」というのが、
さらっと書かれてはいるけれども、とても大きなことに思える。
と思う一方で、「あまりに個人的な感じがだだもれなのは疲れたの」という
シンプルな気持ちなんじゃないかしら、というようにも思う。

一方で、「Sibiria gräver sin egen grav」という歌では、
「僕らはハッピーなポップを演奏する、ホーカン・ヘルストロームやヤーコブ・ヘルマンみたいに、
 僕らはスウェーデン語で歌う、ドラムとベース、エレキギターに合わせて、
 僕らはただ静かに立っている、ただ、そうしたいわけではないのに」
「僕らが演奏すると自動的に他の何かのように聴こえる、
 他のスウェーデン語で歌ってポップを演奏する人たちのように」
とか歌っていて、スウェーデン語で演奏することについての意識もすごくあるようにも思えるし、
それに対するとまどいみたいなのも感じられるようにも思える。


バンドや個人を問わず英語で歌う人が大部分、
というのはスウェーデンではすごく当たり前のことで、
チャートに並ぶタイトルにスウェーデン語が見当たらない、なんてことも普通。
いわゆる「歌謡曲」と呼ばれるジャンルでは母国語は主流。
でもポップやロックのジャンルでは英語が圧倒的です。
同じ北欧と呼ばれる地域でも、フィンランドなんかはフィンランド語で歌う人も多いように思う。
ノルウェーデンマークなんかはスウェーデンと同じ状態なのかなー。

それでも、VAPNET/SIBIRIAが出てきた2000年代半ばくらいからは、
スウェーデン語で歌う、とか、バンド名はスウェーデン語、とかいうのが
増えてきたんじゃないかなあという気がする。
その時々でどっちでも歌うとか(KALLE Jとかそんなですね)。
「英語じゃなくてもかっこいいじゃん!」とか
「英語じゃないのがかえってかっこいいじゃん!」とか
「別にどっちでもいいんじゃないの」とか、
そのへんのトレンドがどこらへんでどうなってるのかはわからないけど。
個人的には「別にどっちでもええやん」という感じじゃないかなーと希望的に観測。


先日貼ったJENS LEKMANの映像で、スウェーデン語で歌っているものがあり、
イェンスがスウェーデン語で歌っているのを聴くのは初めてだったので、
すごく興奮してしまった。
ライブで古くから歌われている歌をカバーしたみたいで、
最初はスウェーデン語でそのまま歌い、その後自分で英語にして歌っていた。

イェンスのよさは英語(つまり外国語)で歌っているからこその、
少しわけのわからない言い回しやら言葉選びと、そこからくる距離感ではないかなー
とぼんやり思っていた。
言い返せば、これ母国語だったらちょっときついかもなーという気持ちがあり、
それでも、もっと直接的にほとばしるような感覚で聴いてみたいなーという
怖いもの見たさのような気持ちもあり、でもやっぱり言葉に依りすぎない
(いや充分に依っているだろうけれども)からこそ、
イェンスの声のちからが聴こえるのかも、とか、まあいろいろ思ってた訳です。
今回スウェーデン語で歌うイェンスを聴いて、
やっぱりスウェーデン語で曲書いてほしいと思いました。

音楽聴く時に言葉は関係ないけれども、
その言葉に対峙するときのその人の気持ちの現れみたいなものは、
やっぱり響いてくると思う。そしてそれがとても気になる。どっちがいい悪いじゃなくて。


とか、なんとか書きつつ、
「SIBIRIAが英語で歌ったら、もっと聴く人増えていいですね!」
みたいな話に一向にならないのが、
自分のメジャー指向のなさだと思います。ほんとに。
だってほんとそんなふうに思わないんだもの。メジャー発想ゼロです。